未亡人 おさじが楽しく語ります

苦しい死別を経験した、いまは明るい未亡人のはなしです

虫の知らせシステム発動!!!

よく、亡くなる前に人はお別れの準備をしていくと聞きます。

いわゆる、虫の知らせというやつです。

 

 

亡くなった彼の妹と、私の妹はともにいわゆる”感じやすい人””見える人”なのですが、私自身はかつてそのようなものを見たことも感じたこともない人間です。

そういう体質を持ち合わせているか否か関係なしに、こんな私ですら、相方が亡くなる前後に不思議だなと感じることがありました。

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相方は年明け1月半ばに亡くなったのですが、後から思えば半年ほど前から、節々にそんな行動があったような気がします。

以下、時系列に綴ります。

 

●大学で知り合った私たちには共通の友達が多いのですが、亡くなる半年ほど前にその一人と遊んで遅くなった私を、わざわざ迎えに来てくれたことがありました。普段なら迎えにくることなんてなかったのに、結果、そこでその友達とも数年ぶりに顔を合わせることになりました。(これが久しぶりの再会で、最後となりました。友達へお別れの挨拶をするために、出向いたのではないかと思っています)

 

●結婚してからずっとほったらかしにしていた趣味のグッズを、亡くなる直前の年末に、綺麗に片づけました。(妙にさっぱりと片付いて、散らかっていたものがなくなった空きスペースが、何故か物悲しいと感じました。まるで、彼がいなくなってしまった後の生活を予見、垣間見てしまったような気がしました)

 

●年明け、出かける私を珍しく玄関まで追っかけてきて「何時に帰るの?」と名残惜しそうな顔をして尋ねた姿に後ろ髪をひかれました。(もうすぐ一緒にいられる時間が終わるのだから、易々と側を離れないで・・・という雰囲気を私も感じとっていたのかもしれません。)

 

●亡くなる5日ほど前に、彼の妹の結婚式に二人で参列したのですが、その時撮ったビデオや写真を、妙に慌てて編集していました。「こういうことは、急いだほうがいいから」と言っていたのをよく覚えています。あっという間に編集して、ディスクに焼いて妹に届けたのでした。(これが、自分が最後に妹家族のためにできる唯一のことだから、といわんばかりに・・・)

 

 

また、彼と結婚して隣で見ていて常に感じていたことがありました。

「この人は、きっと長生きしない気がする・・・」

実はこれは、何故か漠然と本当に感じていたことなのです。

持病があったわけではないのですが、何か胸騒ぎがするというか・・・

そんな物騒なことを感じていた理由は、とにかく人の何倍も動くのです。働くし、遊ぶし、常に動き回っているのです。ゆっくり休んでいる時間がなく、いつも何かに追われるように予定をびっちり組んで、寝る間も惜しんで1分1秒単位で動き続けていました。

そんな彼の姿を見て、私の母親もこう言ったことがあります。

「生き急いでいる」

まさしく私が隣で感じていたことです。

何か漠然と、この人とは長く一緒にいられないような気がする。もしかしたらこの人は50歳くらい、定年を迎える前に太く短く逝くんじゃないかなぁ・・・などと感じていた私の読みは、大分前倒しとなりやってきました。

彼が亡くなったときに

「ずっと感じていた違和感は、これだったんだ・・・」

と妙に納得した側面もありました。でもまさか、こんなに早いとはおもいませんでしたが…

彼は、終わりが決まっていることをまるで察知していたかのように、ガツガツと生きていたんです。側で見ていて、時間の使い方がまともじゃあなかったですから。

これらが、私が彼に感じた“虫の知らせ”でした。

 

ひとつ余談ですが、彼の妹は不思議な体験をする人なのですが、亡くなる5日前、結婚式の際に会った兄にやはり違和感を感じていたようです。その違和感というのが、体が白く透けているように見えたそうなんです。

「”なにか大きな怪我でもするのかな?気をつけてね”って伝えようと思いながらバタバタしてて伝えられなかったんだ。」

と後から教えてもらいました。

白く透ける・・・もう、あの世へ片足を突っ込んでいたのでしょう。だって、5日後には人生を終えているのですから。

 

話は戻りますが、こうやって思い返すと、どれも些細なことではありますが

「あのときのアレはお別れの準備だったんだなぁ…」

と、そのとき感じた違和感や胸騒ぎの辻褄があうように思えるのでした。

そしてこういう経験をすると、やはり、亡くなることは決まっていた…という考えに、素直に行き着くわけです。

もう間もなく訪れる自分の終焉を、なにかで感じていたとしか思えない姿でした。

残された時間を、頭で認識して理解なんてしてない筈だから、魂に刻まれたカウントダウンでもあるのでしょうか…

いずれにせよ、毎日を当たり前に過ごす私達には、まだ理解できない領域なんでしょうね。

一つ言えるのは、そんな彼の姿を見て、違和感や胸騒ぎというふわっとしたもので、どうやら私も少なからず何かを感じ取っていたということです。

 

心を通わせた身近な人が、人生の最後になにかを発信して、またそれを受信する“虫の知らせ”システムですが、例外なく私たちの身にも発動した、というお話しでした。