愛車をミニチュアに
亡くなった相方は、車が大好きでした。
車好きも色々なパターンがあると思いますが、彼の愛車は自慢のランサーエヴォリューションⅤ。完全ガチのやつです。
そっちの趣味がある方には、直ぐにタイプを理解していただけると思います。
このランエボを週末の度にいじり倒し、チームに入ってレースに出たり峠をせめたりね…
彼が亡くなった数日後に、生前注文していたランエボのでっかいカスタムパーツ(マフラーと、どこにはまるのか私にはさっぱり解らない、謎の特大金属板)がヤマト便で届いて困惑しました…
そんな彼の愛車ですが、勿論マニュアル車。
私はAT限定免許しか持ってませんから、動かせないしエンジンのかけ方すら解らない…
途方に暮れました…
さて、彼が亡くなって1年経った頃、家族の伝で助っ人を頼りようやく車関係の遺品を整理致しました。
ランエボも引き取って貰ったのですが、これがやはり辛かった(/_;)
亡くなってから手つかずだったランエボは、唯一彼が生きていた時のまま時間が止まっていました。
ランエボを見ていると、仕事が休みのたびに、つなぎを着て一日中車を弄っていた彼の姿を思い出します。
また家の前に鎮座していたランエボは、もう家の顔のようにもなっておりました。
近所の小さい男の子が興味津々に車を覗いていったり、車好きな方が声をかけてくれて世間話をしたり。。。
宅急便配達では
「お宅の目印はありますか?」
「家の前にランエボがとまってます」
「あっ!わかりました!」と自宅の目印に一役かってくれていたり…
彼がいなくなってしまった家で、どっしりと変わらず鎮座しているランエボが、彼の代わりのようにも感じていたのです。
しかし、主がなくなった車をいつまでも置いておくわけにはいきません。
時が経てば経つほど手離しがたくなるし、また劣化も進んで手に負えなくなります。
いよいよランエボを引き取りという最後の時は、彼のお母さんも集まり、皆で牽引されていく姿を見送りました。
遠く小さくなっていく後ろ姿を、涙を流しながら、見えなくなるまで見送りました。
それはまるで、彼の亡骸が家を経つ時と同じ光景でした。
そんな彼の愛したランエボを心の拠り所にしていた私は、全く姿形無くしてしまうことが憚られたのです。
彼の面影を感じる、彼が何よりも大切にしていた愛車を残してあげたい…
けれど維持する能力が私にはない…
なんとかしなきゃ!でも…を繰り返し業を煮やしていました。
そんな折、以前テレビで歴代の愛車をミニチュアにしてコレクションしている人が紹介されていたのをふっと思い出しました。
「そのまま車は置いておけないけど、ミニチュアにすれば彼が大切にしていた車がどんなだったかいつでも側で見られるし、忘れずにいられるから寂しくないかも」と思い立ったのです。
それから私は、そういったミニチュアを製作しているとある会社にコンタクトをとり、製作を依頼することといたしました。
ベースとなるミニカーは海外から取り寄せ、更に細部まで再現できるように、車の外観のみならず内部まで写真を撮ってデータをやり取りして、それを緻密な作業で本物そっくりに仕上げていただけるとの事でした。
やはりこれだけの行程がありますから、他の依頼もあるので少しお時間をいただきます、とのお返事でした。
私も、2年くらい待つのかなぁ…とざっくりと心の準備はしていたのですが、今回の依頼の事情を全て打ち明けたところ
「三回忌の命日までに間に合うようにやってみましょう」と提案してくださったのです。。。
心ある優しい対応にとても嬉しく、感激いたしました。
そして手元に届いたのが上の写真のミニチュアです。
どうです、すごいでしょう!
本当に細部までそっくりに作られていて、感動です!
そしてこれを見たときに「これでやっと、ずっと気兼ねなく側に置いておけるし、これを見ればいつでも思い出すことが出きる…」と安心しました。
本当にお願いして良かったです。
担当してくれた方もマメにご連絡をくださり、まるで一緒に製作に携わることが出来たような感動も感じたのです。
最後に完成したミニチュアが送られてきた箱の中には、お手紙と、地元のお菓子を同封してくださいました。
悲しみのどん底にいた時、人の温かい心に触れ、ただただ有り難くて、やっぱりまた泣きました。
辛いことがあっても、人生捨てたもんじゃないんだよなぁ、と思えたのです。
この会社とご縁があって、本当に幸せでした。
今もこのミニチュアは、彼のお仏壇の側に置いていつも見られるようにしています。
好きだった”水曜どうでしょう”のステッカーをここに貼ってあったね…
このライトは自分で取り付けてた物だったね…
こうやって、このミニチュアが彼の記憶の入り口をいつまでも担ってくれているので安心です。
忘れてしまうことは決して悪いことではないけれど
私は生きている限り、彼にまつわることはどんな些細な事でも記憶を残しておきたい・・・
決して彼の死に窮屈に悲観的に縛られているのではなく、彼の思い出を共有できる人とは、たまにはケタケタと笑いあいながら彼の思い出話をしたいな、と今でも思います。
私たちの中に散らばって残っている彼の記憶を持ち寄って、彼が共に生きていた時間を掘り起こしていると、薄れていた彼の形が再び輪郭を成し、まるで今ここに、一緒にいるような感覚が蘇るのです。
あの日から8年経って、胸を掻きむしられるような激しい悲しみに囚われることはめっきりなくなりました。
ただ、彼のことを忘れないでいたいと思う気持ちはあの日から変わりません。
当時と確実に違うのは、悲しみを伴わずに優しい気持ちで彼を思い出せることです。
辛さを乗り越えた褒美でしょうか。
彼の大切にしていたランエボミニチュアを見ていて、そんなことを染々と考えていたのでした。