道に人が倒れていたら皆さんはどうしますか?
つい先日のことです。車で買い物に行く途中、道にうずくまっているご婦人に遭遇致しました。スピードも出ていたので一度通過してしまったのですが、これはヤバイのでは!?と思い、手頃な路地でUターンをしてご婦人のもとへ…
戻る最中も、このコロナ禍にリスクになるだろうか???
むしろかえってご迷惑になるのではないか???
でもこのまま見て見ぬふりをして最悪の事態に発展したら…
これで亡くなるようなことになったら…などとぐるぐる考えていました。
ですが勿論、命より尊いものはありません!!!
多少躊躇しながらもご婦人に駆け寄りました。
「大丈夫ですか???」
するとその女性はご自身で旦那様に電話でヘルプをしておられました。
喋れるくらいは大丈夫だ、とホットしました。
今すぐ命がどうこう、という緊急性はないような気がして安堵。
しかし、話すのも辛そうなのでお電話を代わり、今付き添っていますよ、とご主人にお伝えしました。
ご主人はもうこちらへ向かっておられ、5分ほどで着きます、とのこと。
心臓の病気をお持ちで、心臓が苦しいと話す女性…
どこをどう触れていいものやら、座らせるのがいいのか?横になってもらうのがいいのか?
温めてあげていいのか?
私は必死に
「大丈夫ですよ!!」
「辛かったら無理せず救急車を呼びましょう」
と混乱しながら、肩や背中をさすることしか出来ませんでした…
何か腰を下ろせるものや、暖められるブランケット!と思って車を探しても…なんにも無いのです。
無駄に大きく荷物の多い私の鞄のなかにも、こんな時に役立つものは何一つ入ってないんですから、私は普段何を持ち歩いているのやら…(T-T)
そうこうしているうちに、ご婦人は
「やはり救急車を…」とおっしゃいます。
私もいよいよ来た!とばかりに
「!!!そうですね、それがいいです!我慢する必要なんてないですから、救急車を呼びましょう!」と直ちにコール!
救急車を呼んでいるうちにご主人様も到着し、救急車が来るまで兎に角背中をさすりながら
「大丈夫!大丈夫ですよ!!」こればっかり。なんの根拠もなく…
さて、間もなくして救急車が到着しましたので、後は救急隊とご主人にお任せして私は失礼いたしました。
そこからも興奮が覚めず
「どう対処するのが正解だったのか?」
と散々考えていました。
コロナ禍に体に触れても良かったのかな?
気を失ってなくても、AEDを準備するべきだったかな?
ところでこの辺りは何処にAEDがあるだろう?
自分が着ているカーディガンがあったのに、その時彼女にかけてあげることを、どうして気がつかなかったのか…
一人大反省会です。
冷静に考えられれば、もっと的確に出来たことがあっただろうなぁと情けなくなりました。
そんなことを考えつつもとりあえず、共有した電話や手指、車のハンドル、車内にアルコールを散布して消毒は致しました。こういう時の感染対策として、思いつく限りのことはしたと思います。
さて家に帰って現相方に報告をしますと
「大丈夫!?体に触れたの!?顔を近付けたの!?」
「救急車を呼んだのは素晴らしかったけど、それだけで良かったんじゃないの?」
「その人がコロナだったら、マスクをしてても濃厚接触になるよ!」
「今は体に触れることは、向こうにも迷惑だったかもよ」
などと、注意を受ける始末。
迂闊だったかしら…
彼は介護現場の管理者をしている身、彼の立場、責任を考えると当然の反応です。
家族であってもコロナに感染すれば、出勤停止などの措置がとられ業務に支障がでます。(実際に昨年私が風邪をひいて熱を出した際には、コロナ陰性であったにも関わらず、現相方は1週間の出勤停止・・・年休を取らざるを得なくなりました)
他の企業の状況は存じませんが、彼が働く介護現場では、本人のみならず家族であってもコロナに感染することは自己管理能力不足の迷惑職員になり下がってしまう、恐ろしい風潮が少なからずあります。
そして私はそんな彼と同居をしているのですから、コロナ感染リスクを最優先に考慮して行動をしなければいけない。立場をわきまえた行動するべきだったと、此れもまた反省。
でも何が正解だったのでしょう?
苦しんで小さく身を丸めている方に、距離をとって遠くから声をかけることしか出来ない世の中はもどかしくて悲しいなと感傷的になったり。
この辺りの捉え方は、地域性や年代、職業ごとの社会的責任によっても違うような気もするし…更に悩む私。
ですが、もし本当にコロナに感染している方だったら…
コロナだけでなく、ノロウイルスで嘔吐してしまった方の介抱や、ウイルスをお持ちの方が血を流すような怪我をされている場合は…???
ましてや夢中で介抱している最中はどんな病気をお持ちかわからないので、後になって罹患が発覚するのです。
私は未だぐるんぐるんと考えております(現在進行形)
我が身を全く省みず、ヒーロー気取りで手助けをした結果、本人が罹患してしまう。というのも一見いい話、感動話かもしれませんが現実はそれだけでは済まされないでしょう。浅はかであまりにも幼稚ですよね…
かといって、自己犠牲やリスクを重んじてばかりで、極論ですが見て見ぬふりが横行して、まともにコミュニケーションすら取れない薄情な社会になってしまうのも切ないですし。
そんなことを考えていたのですが、昨日そのご夫婦が菓子折りを持ってわざわざお礼に来てくださいました。
「側でずっと寄り添ってくれたことが心強くて、大変ありがたかった・・・」と何度も何度もお礼をいただきました。
こちらも恐縮して、でも感謝されたことは素直に嬉しくて・・・
私が咄嗟にとった行動は、このご夫婦にとっては良かったのかなと、ずっと悩んでいたことに、一つ結論が出たように思いました。
倒れた人を介抱するなんて滅多に経験しないことですが、今回の事を通じて改めて自分がとるべき行動を考えさせられました。
初めは、人命を優先にする前に感染リスクを考えて躊躇してしまうなんて、なんて情けない!と熱くなって多少憤った自分です。
今少し冷静になって考えておりますと、何を優先してどのように行動すべきか、もう少し熟考する余地がありそうだなと思っています。
人命優先はさることながら、加えて現在のコロナ禍における人と人との適切な距離・・・
これは新型コロナ流行の前後で大きく変わったと実感しています。
こういった人命優先の状況下
私のような平人までが、このように考えさせられる機会を得たということは、今まさにその新常識に変わる過渡期にあるということでしょう。時代ですねぇ・・・('_')。
今回は背中をさすったり、手を握ったりとコロナ禍においてはやや過剰なスキンシップを取ってしまった私ですが、もしまたこのような状況に遭遇することがあったら、次回はまた違った対応をするようになっているんでしょうね。
医療関係者ではない人以外は、むやみやたらにお体に触れないでください。という新常識が出来上がっているのか・・・・
それとも、コロナが落ちついた社会ではすっかり元通りになるのか、むしろコロナ禍でしていた我慢を取り戻すかの如く、スキンシップに溢れる人同士の距離が近い社会になっているのか・・・
どちらにしても、その時の社会の動向を機敏に受け取って冷静に判断しながら、臨機応変に考えてその時その場で求められる対応ができる感性は持ち合わせていたいと思うのでありました。
今朝の大事故
これは、今朝の朝食に作った玉子焼きの大惨事です。
先日、上で使ってるカインズでマーブルストーンシリーズのエッグパンを購入いたしました。
このシリーズの大きいものをずっと使ってるんですが、軽いし丈夫だし、何せ見た目も可愛いんでお気に入りです。じゃあ、ちょこっと炒めに小さいのをと思いまして買いました。
で、エッグパンというからには、やはり卵焼きを焼いてみなければと思いたちまして、卵を2個使って挑戦してみたわけです。
の結果、これですよ。
事故。まれにみる大事故です。
なんとも情けない仕上がり…とほほ
ですが、これは私の技術の問題です。
CAINZの商品は全く悪くありませんよ!
思い出しました…そう、私は玉子焼きなんてめっきり作っていなかった…
相方が生きていた8年前、彼のお弁当のために作っていた時期もありましたが、亡くなってからは作る機会もないですもん。
久しぶりのことに慌てたな…
卵相手には慌てちゃイカンのですよ。
彼らはいつもこちらを見透かすように、黄身の氾濫や焦げ、こびりつきといった方法で、手を替え品を替え我々を悩ませ続けます。
あとは、適当に入れた出汁醤油、砂糖、水 これらがイカンかった。
久しぶりなのに調子にのって、だし巻き玉子なんていきったものに挑戦した私が悪うございます。
あまりに適当に入れて混ぜ合わせたんで、卵殿の怒りを買ったのでしょう…
やはりこちらも丁寧に敬意を払い、自分の力量と加減をうかがいながら焼きに入っていただくべきでした。
見てください。お気に入りの皿に乗せてみても、この有り様です。
不味そうでしょう(笑)
朝食のテンションは駄々下がりました。
こんなことなら、目玉焼きにしておけば良かったと…
目玉焼きオンザライスにすれば良かった…
五郎さんの「こういうのでいいんだよ」がやりたかったのになぁ…
まぁ、全て後の祭りです┐('~`;)┌
しかし、見た目ほど味は悪くないので、そこは安定の完食\(^-^)/
玉子焼きに白いご飯で、もうじゅうぶん。
御馳走様で御座います。
こうやって、私の1日は荒れ狂う卵との格闘から始まったのでした。。。
副反応に勝った女、春を味わい満たされる
本日のお茶。
副反応に勝った女、春を味わっています。
火曜日に3回目のコロナワクチンを接種すると、その夜から早速、副反応で熱発いたしました。モデルナアームといわれる接種した腕の痛みや腫れは、心配していたほど無かったのですが、腰痛、倦怠感、熱発、この3点セットで悶え苦しみました。
横になっていても怠い、寝返りも辛い、起きて体を起こしていれば自分の体重を支えるのにやっと・・・
コロナに感染しなくても、ワクチンでこんなに酷い目に合うのなら、どっちがいいかしら?とまで考えてしまう程ですよ。
はーーーーーー辛かった。
接種から二日経った今朝も未だ微熱は残っていますが、体の怠さと関節痛、腰痛がなくなってようやく活動再開です。
そこで、買ったばかりのお茶を淹れて副反応に耐えた自分を自分で労います。
この季節になると、市場に出回る桜商品。
桜の香りが大好きなので、ついついいろんなものに手を出します。
そして今年も、店頭に並ぶ桜商品で気になったものを買い漁りました。
その中の一つがこれ
パッケージもピンク色でかわいいですね。
中身は緑茶なのですが、かすかに桜の香りが楽しめるとのことで購入。
桜の塩漬けにお湯を注ぐ桜茶ではなく、また人工的に桜の香料をつけているものでもなく、完全なる緑茶なのですが、茶葉の特性?で桜の香りがするというものです。
早速味わってみると・・・
「・・・桜の香り・・・遠くに、ものすごく遠くに感じるかしら???」
といったところです。
わかりやすく桜の香りはしません。
ですが、湯飲みを口に近づけると、フレッシュな緑茶の香りに混ざって、桜の葉の甘い香りが遠くにわずかに感じられるような気がします。
全くがっかりはしていません。
寧ろ、奥ゆかしさがあって品格を感じます。
因みにお味は、軽やかな渋みの中にまあるい甘みも感じられ、申し分ない飲み口です。
日が当たって気持ちよさそうな春爛漫の庭を眺めながら、このお茶をすする。
もう、最高です。
年を重ねるごとに、こういう瞬間に幸せを感じるようになりました。
我が生活が穏やかで健やかであることに、満たされます。
一方で世間ではきな臭い、穏やかならぬ報道で溢れかえっています。テレビやネットニュースを開けば、残酷な報道ばかりで一喜一憂してしまいますね。
否応がなしに、感情がそちらへ持っていかれてしまいます。
興奮してカッとなり何かせずにいられなく自分を御して、冷静になるように努めています。
こんなご時世だからこそ、信念や正義感は持ちつつも、周りの雰囲気に過剰に流されず、同調せずに、自分の生活やスタンスを守って冷静に、なるべく穏やかに過ごせるように心を保つのが無難だと思っています。
世間がどんなに騒がしくても、美味しいものを食べて美味しいと感じる、楽しいことをして楽しいと笑える、これが最強の幸福でしょう☆
こうやってのんびりとお茶をすすっていられる幸せが何よりです☆
せっかくなら、お茶に合う桜餅でもあったらよかったな・・・
またもやカロリー摂取を所望しつつ、桜の香りで春を満喫しながら、こんな自分の細やかな幸せを噛みしめて、これを綴るのでした。
父の男泣き
私の父は、子どもはずっと男の子が欲しかったそうです。結局子どもは娘二人で、肩身の狭い思いをする羽目になった父ですが・・・
体が大きく産まれた妹が、病院の産室から運ばれてくるときに、ブルーのタオルでおくるみされて出てきたそうです。
それを見て父は「男の子だ!」と早とちりして大喜びした直後、看護師に「大きな女の子ですよ~」と告げられ、見当はずれにガックリしたというエピソードは、今も家族の語り種となっています。
息子との男生活に憧れがあったのでしょうか?
父は昔気質の厳しい人なので、母曰く
「娘で良かったのよ。息子だったらぐれちゃってたわ」と。
そして私が結婚してようやく念願の息子が出来た父は、私の相方が可愛くて仕方ないといった様子でした。また彼も、私の父をとても大切にしてくれていました。
それを象徴するのが、お酒の席での2人の姿でした。
父が酒を飲むときは必ず相方が隣に座って、相手を買って出てくれていました。父のグラスが空にならないように、彼がいつも目配り気配りして、完璧なお酌をしてくれていた姿を思い出します。相方はお酒が得意な方ではなかったのに、私のために率先して父の相手をしてくれていたのです。そこまでしなくていいんだよ~!と度ごと言うのですが、彼は正座を崩さず、きっちり父に尽くしてくれました。その心意気には未だに涙がでます。
息子が欲しかった父は、彼に隣でお酌して貰い、本当に嬉しそうに、満足げに目を細めてグラスを傾けていました。相方が、父のなかの理想の息子を叶えてくれていたようです。
そんな父ですから、私同様に彼の死にはただならぬ衝撃を受け、なかなか消化できない想いを募らせたようです。
彼が亡骸になってようやく自宅に帰ってきたときに、皆でけん杯をしたときのことです。
静かにグラスを掲げ、しんみりと口にして間もなく、父が肩を震わせ嗚咽を漏らして泣いたのです。
「もう、お酌して貰えないんだなぁ…」震える声で言いました。
この父の姿はショックで、今でも鮮明に記憶に残っています。強いと思っていた父が、娘婿の死に娘の前で憚ることもせずに泣いている…弱い姿を晒している…今でも思い出すと、胸が苦しく込み上げてくるものがあります。
私は『こんな悲しい想いをさせてごめんね、泣かせちゃってごめんね』と口には出せませんでしたが、心で詫びていたのを覚えています。
さてそんな父ですが、私同様に根は暗くないので、もうすっかり元に戻ったように見えます。
まず、私の元気が戻って安心したのでしょう。
今では定番となった、相方の月命日に合わせた毎月のお墓参りを率先して取り仕切ってくれています。
そして現在、私に出来た新たなパートナーと、大好きなお酒を酌み交わしています。
一度終わってしまったあの日と同じく、隣に息子を従えるようにして、お酌をしてもらっては目を細めて嬉しそうに美味しそうに…
ただあの日と違うのは、今の彼が元相方よりもずっと酒が強いと言うこと…
片方がグラスを空けると、もう一方も競うように流し込みます。
グラスに出来たビールの泡の層を比べて、どちらが1度に多く呑むかと楽しそうに議論します。
そんな二人の姿を見て、これで良かったのかなと私も嬉しくなるのでした。
「父にもう一度、あの日と同じ思い、あの日の続きをさせてあげられて親孝行になったかな」と。。。
今の彼には失礼かもしれませんが、元相方が父の相手という重役をバトンタッチをして巡り会わせてくれたのかしら?とも感じてしまうことがあるのでした。
春の色物病
ここ数日、日中は冬物のコートが要らないくらい、一気に気温が上昇し、正に春到来。
大気から、芽吹いた草花や暖められた土の甘い春の香りがします。
太陽も、キラッキラ★☆あまりの眩しさに目を細めるほどです。
窓から遠くの海を眺めると、ほんのりと霞んでいて、まさに春到来ですね。
さて、私は毎年この時期になると、ついやってしまうことがあります。
それは、色物衝動買いです。
また今年もやってしまいました。
衝動買いは主に、洋服です。
先日も、赤いコットンセーターや、赤のボーダーシャツ、ピンクのカーディガン、パステルイエローのトレーナー・・・色物ばかり大量購入。
帰って買った商品を並べてみて
「うわッまた今年も見事にやってしまったねぇ・・・(*'ω'*)」
これ、何故かこの時期に決まってやってしまう病気でして。
お金は多少使いますが、最高に幸せなのでやめようとは全く思っていません☆
冬の間はどうしても黒、紺、グレー、ベージュなどの暗い色のコーデが主流となってしまいます。街を歩いていても、やはり皆さんも色味が暗いですね。寒さもあって籠りがちになるし、動物で言えば冬眠の時期。
身に着けるものも、どうやら守りに入っているようです。
そして春の草花、動物が目覚め活動を始めるこの時期、どうやら私のなかでも何かスイッチが入って覚醒してしまうようです。
もういいよ~と待ってましたとばかりに、テンションも一気に上がり、ウキウキが止まりません。木の芽時のパワーを肌で感じて、感化されているのでしょう。
キリっと冷えた冬の空気も好きなのですが、そこからぶわっと一気に緊張が緩んで春の陽気、雰囲気に切り替わる瞬間が、たまらなく好きなようです。
こうやって季節を肌で感じるたびに
「私も動物とおんなじですなぁ・・・」などとしみじみしてしまいます。
訳もなく外に出ては庭の金魚と戯れてみたり、まだそれなりに寒いのに、窓全開で換気をしてみたり。
そんなわたくし、ここ数日は先日買った色物たちで脳内コーデ中・・・赤いボーダーとオーバーオール、足元はソックスにサボもいいけど、台湾のチャイナシューズなんかを合わせて散歩もいいですね・・・なんて妄想をしつつ、現実は確定申告と3回目のワクチン接種というキラキラからは程遠いお堅いスケジュールに翻弄される日常なのでした。
大至急、戦争の方法を改めてください
ウクライナとロシアで軍事紛争が激化しています。
こういった政治問題は複雑なので、あまり適当な発言は出来ないと思ってはいるのですが、一言。
『まだ殺しあいをするような戦争をしなければならないでしょうか?』
新型コロナウイルスで沢山の人が亡くなり、世界皆一様に、命の尊さを実感する機会があったかと思います。そしてまだ終息に至らず、世界中で協力して、ウイルス撲滅のために助け合わないといけない時期でしょう…
なのになぜ…わざわざ血を見るような選択をするのでしょうか?
ニュースを見ては胸が締め付けられます。
私は無知なので、無責任にやみくもに戦争反対!とは言えません。報道の切り取られた一部分だけをみてそれが真実だと突っ走るのも、ちょっと浅はかで危険な気がします。なにが正しくて正義かなんて、いつでも人の数だけ答えが違います。国同士の複雑に絡み合う事情や思惑があるのでしょう。侵略国と表現される国を暗に否定することも、何か違うのではないかと感じています。
ただ、私が声を大にして言いたいのは、血を見るような事がない方法でやっていただきたい。それだけです。
ニュースで、ウクライナのこどもが「死にたくない」と涙を流している姿が辛くてたまりません。
また男の人は個人の意思に関係なく徴兵され、他の土地へ避難する家族と離ればなれになっているようです。これは避けられないのでしょうか?
罪のない市民の生活が犠牲になるような方法は、やめましょうよー(T_T)
そろそろ、核や武力行使のない争い方を考えませんか?
例えば、一対一の腕相撲や足相撲など…
これでも大真面目です。
体格差が不公平を生むのであれば、パワー勝負だけではなくチェス、将棋、囲碁にトランプ…なんでもいいです。頭脳戦も出来るように複数の方法で競いましょう。
もしくは、フィールドを仮想空間にうつして、バーチャルでやってはもらえないでしょうか…
話し合いで解決したいですが、どうしてもという場合は、とことん平和的な解決策を考えてほしいです。こんなに発展した世の中なのに、戦争のスタイルだけ変わらないなんておかしいじゃないですか。
人間は考える葦なはず。
神から授かったこの頭脳を、相手によりダメージを与える方法なんかに使わずに、なるべく傷つけ合わず平和的に解決する策を考える方に使いましょう。
連日ニュースを見ては心を痛め、ついこんなことを綴ってしまいました。
どうかなるべく、誰も誰かを亡くしたり、傷つけ合うことのないよう
一日も早く、皆に穏やかで安らかな日常が戻りますように…
オカルトエピソードを取りに行く父
私は有り難いことに?霊感の類いは無いようで、怖いものを見たり感じたりといったことは無いです。一方我が妹はこどもの頃から神経質で、なにか感じられる体質のようです。他の家族はというと母からそんな話は聞いたことがありませんし、祖母や祖父からも聞いたことがありません。そして、今回の主役の父親も、残念ながら無いようです。
父は、昔から下手なオカルト好きです。
一昔前によくあった、U.F.O.やネッシーのテレビ特番があれば必ずチャンネルを独占し、自信たっぷりに
「U.F.O.はいる。こんだけ宇宙は広いんだから、絶対にいる。」と毎回主張しておりました。
そんな父を、妹と一緒に
「ハイハイ、また言ってますね」
と面白がったものです。
父のオカルト好きは、U.F.O.に限りません。
念力、予知夢、霊魂 まあその手のものは全般、興味が尽きないようです。
残念ながら本人は知覚できる体質ではないようですが、唯一感じる妹が不思議な体験をいくつも持ってるもんで、何故か変に張り合う…
なんて大人げないんでしょうか。しょもーもない( ´∀`)
ありがちですが、切れかかって点滅している電球を指差して、
「○○君(亡くなった相方)が挨拶に来ている★」
だの、「葬式の朝、車のエンジンがかからなかった!何か訴えてるんだ!」などと、自信たっぷりに言うのです。経年劣化の機械の不調は、なんでもざっくりと怪奇現象にしちゃいます。
もう、無茶苦茶です。面白すぎます。゚(゚^∀^゚)゚。
更には、相方の車のナンバー2057を見て
父「○○君(相方)が亡くなったのは、20時57分じゃなかったか!?」
私「いや、18時過ぎだよ…」
彼の車に貼ってあった“水曜どうでしょう”のステッカーを見て
父「○○君(しつこいようですが、相方)が亡くなる曜日を予知していたんだ!」
私「それは人気番組のステッカーで、貼ってる人は大勢いるよ…(笑)」
こんなんばっかり。もう、強引。
エピソードを欲しがっちゃって、ぐいぐい取りに来ます(笑)
そのくせ、ご遺体を自宅に連れ帰って線香番をしている時に、私の携帯の通知音が鳴る度にビクッと肩をすくめて怖がるという。゚(゚^∀^゚)゚。
未だに妹と笑い種にしている父のとんでもエピソードはまだあります。
私の祖父(父親の実父)が亡くなった時のこと。
相撲が好きだった祖父ですが
父「じいちゃんが亡くなった時、丁度白鵬の連勝が止まったんだ…」
と大真面目に言います。
「…はい?」「…え?」妹と顔を見合わせましたね。
父「じいちゃんは白鵬を応援してたから…」
「…… 」
もう言葉もありません。
確かにじいちゃんは相撲ファンだった。
だがしかし!じいちゃんの死と白鵬の連勝ストップは、どこをどうしても繋げようが無い!!!
じゃあなんですか?じいちゃんが死んだから、白鵬が負けたと?
そんな事あるわけ無い無い(笑)白鵬に失礼すぎる。
じいちゃんの死に、白鵬の勝ち負けに作用する力なんてない(笑)
いやもう、それどんな発想!?キレてんなぁ~。
こういう恥ずかしいことを、自信たっぷりに言っちゃう父。
我々娘2人はいい笑いの種にさせてもらってますが、どうか外では言わないでね。頼むよほんと。
後ろ指を指されて笑い者にされてる父ちゃんは見たくないですからね(笑)
とか言いつつ、父の強引なオカルトエピソードを楽しんで、ついここに晒してしまう悪い娘なのでした。