衝撃の黒胡椒せんべい
死別とは到底関係のない、旨いもんの話で失敬(-人-)これ、私のお気に入りの1つです。
胡椒煎餅なのですが、始めて食べた時の衝撃ったらなかったです。
「なにこの辛さと旨さ!!!」
お煎餅にこんなに虜になったのは初めてです。
まさに、あと引く旨さ。
やめられない、止まらない。
開けたら最後、You can't stop.ですよ。
黒胡椒煎餅が小さく砕かれていて、そこにこれでもかと追い黒胡椒がされています。
封を切ると、まず胡椒の強さでくしゃみが出る程。そして香りもさることながら、口にいれると舌のビリビリから始まり燃えるような熱さに変わる、なんともの刺激的な辛み!
胡椒でここまで辛さを味わったのも、初めてでした。
加えてガーリックパウダーのような旨味と、醤油の香ばしさと塩気!
兎に角濃くて、ガツンときます。
私のなかでは小腹を軽く満たすライトで地味なおやつの程度だったお煎餅というジャンルから、まさかこんな感動を味わえるものに出会えるとは…
侮れませんな…
おやつにもいいですが、お酒に合うと思います。ビールもいいですが、わたくしは日本酒と(*´ー`*)
一口噛めば、お酒がくいくいと進みます。
黒胡椒で燃える口を、辛口の冷酒が熱を適度にぬぐい去りつつ爽やかな後味を残し、スッキリと整えてくれます。
さてこのお煎餅は、おせんべいやさん本舗で販売されている『黒胡椒せん飛礫(つぶて)』という商品です。
この商品ですが、ネット販売では手に入らない代物で、お店に運良く入荷されていれば買えるというレア商品なのです。
私は知り合いから頂いて虜になり、その味が忘れられず、後日店舗まで買いに行きました。
忘れもしません、冷たい雨が降る寒い日でした。お墓参りのついでに足を伸ばしてもらおうと、同行していた父に運転を頼み、片道2時間かけてわざわざ買いに行きました。
もしかしたら、お店に置いてないかもしれない、売り切れているかもしれない、という懸念は父には伝えず、向かってもらいました。
これを伝えていたら、サクッと断られていたでしょう…
さて、いざ店に到着し飛礫を探してみると…
あった!ありました!
丁度入荷したばかりで、10袋ほど置いてありました。全部買い占めたいという想いを堪えて、7袋ほど買わせていただいたかと記憶しています。
「丁度入ってきたばかりなんですよ」
「これをわざわざ買いに来たので、買えて良かったです」
などとお店の人と話しました。
聞くと、やはりいつも置いている商品ではないとのことで、入荷する数も多くなく、入荷して大体1週間ぐらいで売り切れてしまうとのこと。そして、不定期なので次にいつ入荷されるかわからないそうです。
いや~なんとも運が良かった。
お目当てを無事手に入れて、長い長い帰路に就きました。
運転をしてくれた父にもお礼に渡したら
「辛いな!」と嬉しそうに絶賛してました。
お恥ずかしながら、レアアイテムを手に入れたという妙な特別感と達成感も手伝って、またより美味しく尊く感じてしまうのでした。
バキバキのキラキラ未亡人、爆誕!!!
死別の苦しみ、ショックで真っ暗になってしまった自分を立て直すためにしていた自助努力があります。
それは、いつも以上に身だしなみに気を付けることでした。
哀しみでひしゃげた私を側で見ていた妹に
「こんな時だからこそ、綺麗な格好をして明るい色を身につけて、お花のようにしていよう」と言われたことがきっかけでした。
未亡人だからって、気の毒感まる出しで真っ黒では余計に暗くなりますものね。
哀しいからって、化粧もしないで服装にも気をかけず汚ならしくしていたら、余計に不幸にどっぷり浸かってしまいますしね。
そんなことになってしまったら、この先の私の人生にとってどんなに悪しきことなのか、容易に想像ができました。
不幸に飲み込まれてはいけない。ここで、一定レベルを保っていないと、ずるずると良くない方へ落ちていく。
この負の連鎖にはまっては、絶対にならない!絶ち切らないといけない!と強く奮起したのでした。
お先真っ暗、哀しみに打ちひしがれていても、せめて最低限の清潔感だけは保つように心がけていました。
とは言え、もともとファッションも割りと好きでしたので、いつも以上に明るい色味をとりいれ、メイクもヘアーアレンジもバッチリにして過ごしていました。
ヒールをならしながら市役所やら税務署やら、相方死後の事務処理に駆け回りましたし、メイク完璧で会社との協議に堂々と応じてました( ´∀`)
悲しくても、口元はなるべく口角をあげて、微笑みを絶やさずアルカイックスマイル(´∀`)
俯かず、顔をあげてきちんとまっすぐ前を向き、胸を張って!
なんて自分を鼓舞してやっていたのです。
悲壮感たっぷりの伏し目がちなやつれた女…そんな未亡人とは程遠い、バッキバキのキラキラ未亡人からスタートしたのでした。
今、冷静になって思い返すと、ちょっとやり過ぎてたかしらと思うほど…今よりずっと意識が高かった。
改めて思うのですが、色どりって無くても生きていけるものです。お花もそうです。お花を飾らなくたって当然生活はできます。ですが、これらは必要不可欠なものではないけれど、あればより良く、より心地よく、より明るくといった具合に、+αの作用を担ってくれます。
そしてその作用が、あの頃の私には大変な効果をもたらしてくれていたようです。
私にとって、色どりやオシャレは生活に華を添えて、心の回復をサポートしてくれるサプリメントのようなものだったのでしょうね。
そうして過ごしているうちに、お洒落の効果も手伝って、段々と心の明るさを取り戻していきました。
さてあの日から大分歳をとった今も、相変わらず色を取り入れて生活を続けています。きれいな色のお皿やグラスを使ってみたり。年甲斐もなく赤いセーターを着てみたり。
何はともあれもうすっかり元気になって、今では小躍りするロックンフラワーになりました。
我が家の伝説金魚
上の画像は、我が家の伝説となったアイドル金魚です。これご覧の通り、ぬいぐるみのような可愛さ!
今日はこの子の話を。。。
金魚でも色々な形、色、柄の子がいます。
一番メジャーなのは、お祭りの金魚すくいで見かける和金でしょうか?
我が家は、もっぱらランチュウ推しです。
そして、特に体つきがまんまるで、黒目がちな子ばかりです。コロコロした体で、一所懸命お尻をふって泳いでいる姿はもう可愛くて、可愛くて。
いつまでも見ていられます。すっかり虜!
そのなかでも、この子の可愛さは別格でした。目に入れても痛くないとは、このこと★ヘルメットを被ったように、つるりときれいについた肉瘤がチャームポイント。でこっぱち、下膨れ頬っぺたが、まるで人間の赤ちゃんのようでしょう。
性格はのんびり屋さんで、ちょっとマヌケなおバカちゃん。他の金魚に意地悪されても、尚のんびりしてました。それでも多少男気があったのか、一緒に連れ帰った女の子を守ってあげているかのように、いつも側に寄り添う優しい子でした。
金魚を見ていると、ちゃんと一匹ごとに性格や嗜好の違いがあるのがよくわかります。
他の子を追いかけまわす、かまってちゃん
通りすがりに噛みつく意地悪な子
噛みつかれて嫌がる泣き虫
噛みつかれても、動じない太い子
うまく交わして難を逃れる世渡り上手
全く無関心にボケーっとしてるのんびり屋
ぶつかりながらグイグイ泳ぐ、あどけないヤンチャっ子
人が前を通るだけで愛嬌をふりまいてくれるフレンドリーな子
餌だけガツガツ取りに行く子
下に落ちた餌を粛々と探すことに徹する子
皆が食べ終わった頃に、おもむろに残飯を探しだす子…
面白いもので、金魚にも人間と同じくいろんなタイプがいるようです。
さて、この子は昨年12月に亡くなってしまいました。最後は沈没して横たわり、そのまま再び泳ぐことなく逝かせてしまいました。
私に出来ることは全てやったつもりです。エサを替えてみたり、環境を替えてみたり、体を起こして餌を口に運んでアシストしたり…この子にとって、なるべく居心地がいいようにと尽くしてみましたが、やはりお別れからは逃れられない…覚悟はしていました。
最後の数日、私をじっと見ながら、口をパクパク、パクパク まるでお喋りをしているように見えました。恨み言を言ってるようには感じなかったです。「お世話になりました」って最後の挨拶をしているような気がして、胸が苦しくなりました(ノ_・、)
確証はないけれど、この子とは信頼関係を築くことが出来ていたと思ってます。
私が愛情をもって接していたことを、この子はきちんと受け取って、体を預けてくれていたと感じるのです。
言葉で意志疎通が出来ないからこそ、動物が持つ本能か何かで、お互い何か感じとったものがあったように思います。
魚にそんなバカな話があるか、と突っ込まれる方が大半だとは思います。意見は色々おありでしょう。
ですが私がそう感じて信じてるんで、まぁいいじゃないですか。
こんなことがあったって、いいじゃないですか。
とってもステキなことです★
ヒバオイルと丹田呼吸法、いいですよ☆
私は入浴がとっても良いストレス解消になります。
お風呂が大好きで、年中入浴しているというわけではありません。寧ろ割とだらしない人間なので、「お風呂面倒くさいな…」と思うこともしばしばあるのですが、一日の終わりにきちんと身も心も清めると、頭もスッキリ気持ちもさっぱりして、次の日のスタートがスムーズなようです。
ここまでわかってるのに、サボることがあるバカな私ですがね。
さて、私は死別の一件から、ストレス解消になるオリジナルの入浴方を続けています。
まぁ、そんなに大袈裟なものではないんですがね。
まず、お風呂に入るときに、お湯にヒバオイルを数滴落とし、なんちゃって檜風呂にします。この時期はお湯に浸かるだけで、冷えた体がじわぁっとほぐれるのですが、ここにヒバの香りが加わると、更に気持ちもリラックスするのがよくわかります。ヒバの香りが特に好きですが、他にも夏はレモングラスや清涼感があるミントなどの精油もたまに使ったりします。どれも邪魔にならない自然の香りで、使い心地がいいです。
そしてもうひとつ、お湯に浸かりながら丹田呼吸法をしています。丹田呼吸法はご存じでしょうか?
お臍の下あたりにある器官ですが、ここを意識した腹式呼吸で、3秒で深く息を吸って、10秒かけて長くゆっくりと息を吐き出します。詳細は割愛しますが、この呼吸法を行うと、自律神経の乱れを整えたり体の緊張を緩和してくれる効果がある夢のような呼吸法だそうです。
私はこれをお湯につかりながら、息を吸うときには、ヒバの清々しい香りと清らかなイメージを取り込み、息を吐くときには、心に蓄積した疲れやモヤモヤ、邪や穢れを吐き出すイメージをしながら行っています。
今になって振り返ると、特に死別の哀しみに翻弄されていた時期は、滾々と湧き出る哀しみや苦しさを、毎日のお風呂で吐き出して、なんとか自浄していたように思います。
それを繰り返した結果、今ではすっかり元気なんですから、この入浴方法が心の回復に多少なりとも効果を発揮したようです。
私にとってお風呂は、物理的な体の汚れを落とすだけでなく、心や気の乱れも浄化してくれる場所のようです。
因みに、最近は哀しみの代わりに、ぜい肉を洗い流すイメージで行っています。
…ただ残念ながら、これについては未だ効果は実証されていません。
神様から黄金の冠を授かった相方
相方が亡くなった当日、病院やら警察らやとたらい回しにされ、ようやく解放されたのが深夜でした。
泣き腫らし呆然とし、全く機能しなくなった頭と心を抱えながら、それでも何故か相方は自宅に先に戻ってる気がして、車を2時間走らせて、彼と暮らした自宅へ帰りました。
玄関を開けると、真っ暗でがらんとした我が家が、何故か私の知らない場所になってしまったかのような、不思議な感覚に陥ったことをおぼえています。
本来ならここで仕事帰りの彼を迎え、一緒に夕食をとり、明日に備えてぐっすり寝ている時間です。混乱したまま、集まってくれた家族と解散して、その日は泣きながら布団に入りました。
翌日、誰とどう朝を迎えたか、もう当時の記憶が曖昧なのですが、思い返せばどうやらちゃっかりしっかり寝てはいたようです。
さて、ここからなのですが
亡くなった翌日に、妹がこんな連絡をくれました。
「言おうかどうか迷ったんだけど… ◯◯(彼の名前)さんの夢を見てね…」
私が彼の喪失に錯乱しているのを見て、姉の夢には出てきてないのに、私のみた夢を伝えてもいいものか、と戸惑ったそうです。
私は、どんなことでも、些細なことでもいい。彼にまつわることならば全て教えて欲しいと懇願しました。
「どこかわからないけれど、背景は真っ暗だった。宇宙みたいに。でね、綺麗な、ほんとに綺麗な曇りのない黄金の冠?みたいなものを頭につけてたんだよ」
「聖闘士星矢で頭にかぶってるようなね。直感的に、怪我した頭を守ってるのか、隠してもらってるのかなって感じた。」
「とにかくすごく綺麗な黄金の装飾がついた冠で、神様みたいだった。辛い事故で突然亡くなったから、神様によく頑張りましたね、って冠を授かったんだと思った。」
私は、もう見ることが出来ない彼の姿を、妹の夢の中に見た気がしました。
私は「元気だった?どんな顔だった?頭以外はどんな格好をしていたの?」と突然逝ってしまった彼の今を、どんなことでもいいから少しでも知ることが出きれば、と思いしつこく訪ねました。
「格好までは…あとはよく覚えてないんだけどね、夢だから…でも全然嫌な感じじゃなくて、金色に光ってて神々しかった」と妹は言いました。
それが、妹の脳が作り出した虚像でもいい。その夢になんの確証もないけれど、でも私は妹のその夢での彼の姿を素直に信じました。
妹は不思議なものを感じやすい体質だから、彼が妹を通じて「こちらは大丈夫だよ」と伝えてくれた気がしてならなかったからです。
突然命が断たれて、本人がどんな想いでいるのか…
まだ生きていたかったと後悔しているのではないか…
自分の死を受け入れられずにいるのではないか…
苦しんでいるのではないか…
混乱して、変な世界に導かれてはいないだろうか…
幽霊なんてみたことがない人間なのに、なにか有り合わせの知識で、あの世という彼の魂の行く末を必死に案じていました。「変な世界に落ちては、絶対にダメだよ!穏やかで清らかな正しいところへ上がってください…」こればかり、何度も何度も、来日も来日も念じていました。
ですが、彼はきっと大丈夫、だって神様から黄金の冠を授かったのだから、きっと正しい世界に導いてもらっている。と、その後もずっと本気で、妹の夢での彼の姿を信じ、心の拠り所にしていたのです。
彼のその姿のイメージは、8年たった今でも、ずっと私のなかに、お守りのように大切に残っています。
妹は、私にはない不思議な体験をいくつも経験しています。この夢の話以外にも、彼にまつわる体験がありました。どれも、真実を証明できる根拠もなければ、確証もありません。
ですが、それでこの件に関わって哀しみにくれた我々の心が、少しでも明るく前向きになれたこと、先の希望になったことに、大きな意味があったと感じています。あの日から8年経って冷静に思い出せるようになった今でも、私にとってはこれで良かったんだと満足できているからです。
真実かどうかなんて、どうでもいいんです。
信じて楽になれれば、それでいいんです。
信じる者は救われる・・・まさにこの言葉を体験したのです。
死別の苦しみを乗り越える助けになった、そんな、妹のみた不思議な夢の話でした。
今更ホットケーキで熱くなる
今日は死別とは全く関係ない、俗にまみれた食の話を。
今さら、本当に今さらなのですが、最近パンケーキが無性に食べたくなることが多々ありまして・・・
いえ、訂正いたしますと、すっかりブームも下火になったパンケーキではなく、私が所望しているのは”ホットケーキ”です。昔から馴染みのある、あのホットケーキです。
私のホットケーキの記憶は、遡ると幼少期に家族で行ったファミリーレストランへと行き着きます。
子どものころ、年に何度か訪れるファミレスが大好きでした。店に入った瞬間から、家庭料理とは違うゴージャスなお料理のまじりあった香りが、テンションをぶち上げてくれた記憶があります。そして、全く見飽きないメニュー表。子どもだった私がその中から選ぶのは、大体ホットケーキとコーンスープでしたね。
平たい大きなホットケーキのうえに、しょっぱいバター、そしてもう少し欲しいな、と物足りなさを感じるシロップ!これです、これこれ。
私の抱くホットケーキへのイメージは、このようにして幼少期のファミレスにて培われたようです。
という理由もあり、私が今更無性に食べたくなるのは、このホットケーキなのです。
一応ですが、パンケーキとホットケーキの違いをググってみたところ、こんなことがかかれておりました。
文明開花の明治時代に日本へ入ってきたパンケーキに文部省があてた訳が”薄餅”!( ´∀` )ヶヶ
笑うことではないですが、なんかいいですね。無理やり感、ざっくり感が否めません。
そして大正時代に日本橋のデパートで”ハットケーキ”という名前で提供され、昭和初期に遂に馴染みの”ホットケーキ”という呼び名を確立したようです。
もともとはパンケーキが正しいそうで、ホットケーキは和製英語でした。
パンケーキ→薄餅→ハットケーキ→ホットケーキ→最近定番となったパンケーキと、およそ140年かけてオリジナルに戻ってきたようですね。
ちなみに薄餅部分の基本的なレシピや材料には相違はないようです。
ですが、私の中で認識しているホットケーキとパンケーキの違いは、上に書いた呼び名だけのものではありません!
何年か前にブームを巻き起こしたパンケーキは、日本に根付いてきた薄餅の進化系ではなく、再上陸を果たした完全なる別物です。ハワイからですか?ナッツやフルーツやクリームがたっぷりのって、薄餅が隠れてしまっているあれですね。
悪意がこもっているようですが、一度は食べてみたかったと思っています。
ただ目は欲しいのですが、歳のせいか体が受け付けず・・・見た目も可愛くて華があって、食べたら絶対に美味しいのは確実なのですが、きっと食べたら2日くらい胃腸がお休みしてしまいそうなので、未だトライできていません。
・・・新種を受け入れない、頑なな大人にはなりたくないと思ってはいますしね。
さてさて、理想のホットケーキと再会を果たすべく、とある日に子どものころに度々行った記憶のあるファミリーレストランに向かいました。
日本を代表するファミリーレストラン、デニーズです。
そこでは食事を兼ねていたので、サラダやスープ、メインも食したのち、デザートにとっておいたお待ちかねのホットケーキをオーダー致しました。
さあ!間もなく愛しのホットケーキとの再会です。
私は心躍らせながら、着弾を待ちわびます。
お姉さんが皿を持って歩み寄ります・・・
来た!あれは間違いなく私ほホットケーキ!!!
「お待たせいたしました~」
私の目の前に遂に現れた悲願のホットケーキ・・・・
???ホットケーキ???
・・・おや?私の思っていたのと違う。様子が違う。
もう大混乱です。
そこに懐かしさや感激はありませんでした。
何故って、小さいんですよ。すっごい小さいの。
いやね、メニューを見ていた時からなにか不安を感じてはいました。
お皿の中にこじんまりとしているなあ、と。
実際に運ばれてきたものを見て、不安が確信へと変わりました。
これは、私が求めていた懐かしのホットケーキではない。
ショックを受けながらも、平らげました。
小さいですから、あっという間です。
味はとっても美味しいんですが、何せ小さい。
もうこれ、どら焼きの皮でしょ?ってずーーーーーーーーっとツッコミながら食しました。
どうやら、1枚のサイズを小さくして、枚数を選べるシステムのようでした。
何段も積み上げて食べるのも、確かに夢がありますものね。
そして、クリームをトッピングしたりして、自身でカスタムして注文できるシステムを採用のようです。
こういったニーズもおありでしょう。デニーズの企業努力です。素晴らしいです。
ですが私は、終始これじゃない感に苛まれ、じっくり味わうことも出きず。
「どっちかというと、パンケーキに寄せてるね」なんて悪態をつきながら、サクッと食べ終えてデニーズを後にしたのでした。
さてここからです。
不満を拭えない私は、デニーズパンケーキを食べながら、友にラインでこの一件を愚痴りました。「ホットケーキじゃなくて、どら焼きの皮きたわ・・・」
嘆く私に友はなんとも衝撃的な提案をしてきたのです。
「それなら、絶対にロイヤルホストだよ。ファミレスはしごだな、二件目お行き」
!!!???これからロイヤルホストですって!!!
この人は全くなんてことを言うんでしょうか。強引にも程があります。
私は一応考えました。もうお腹は十分。量、カロリーともに完全オーバーです。
だが、確かに心が満たされていない・・・
これを今満たしてくれるのは、ロイヤルホストへはしごの一択である!
そこからは早かったです。
ファミレスも閉店の時間が迫ります。
閉店30分ほど前に到着。
店内のお客はまばら、ラストオーダーギリギリにも関わらず、店長さんと思われるスタッフの方が快く迎えてくれました。
そこで今一度、ホットケーキを注文。
(一緒に付き合ってくれた現相方は、なんと肉料理を注文。2件目でまたメインを食すとは、これまた何たる悪行)
ロイヤルホストのドリンクバーを楽しみつつ、ホットケーキを待ちわびます。
理想のホットケーキについて現相方に語っているうちに、遂にやって来ました。
「パンケーキのお客様~」
「ハイ!!!こっちです!」( `ー´)ノキリッ
そう、これです!まさしく私の求めていたホットケーキはこれです!
サイズ完璧。厚みはないながらも、しっかりとした2段のHK。思い描いていたあの味、あの香り。バターが溶けやすいクリーム状になっているのもすごくいい。シロップの量もたっぷり♡テンションMax★
先程のデニーズの一件があった後なので、感慨もひとしおです。
これでホットケーキはロイヤルホストで決まりとなりました。
因みに、後日またこれを食べにロイヤルホストへ行った私たちは、シロップのおかわりという術も身に着けました。ダメもとで聞いてみたら、あっさりとおかわりシロップをくださいました。なんというサービス精神。
世の中のホットケーキが再上陸オシャレパンケーキに押される中、昭和の香りを残す定番型を採用し続けてくださり、勝手ながら感謝いたしております。
ロイヤルホストさん!
私のホットケーキ欲を満たしてくださり、ありがとうございました!!!
辛いときは、5分先のことだけ考えてやり過ごせばいい
相方の死の直後、完全に思考停止してしまっていた私にある人が声をかけてくれました。その人の言葉は、今でも辛いときの過ごし方として教訓としているので、ここで紹介させてください。
これを伝えてくれた方は、同じ職場の別職種で働いていた先輩です。彼女も私と同じように死別の経験をしていました。
旦那さんを早くに亡くされて、2人のお子さんを1人で育てながら、バリバリ働く気持ちのいい方です。
死別直後のある日、私の姿を見かけると、さっとかけ寄って声をかけてくれたのです。
「大丈夫?私も同じ経験してるから…辛いのがよくわかる。必要だったら話聞けるから。」
私は噂で、彼女が旦那さんを亡くされていることは知ってはいましたが、ご本人とその話をしたことはありませんでした。
その時にどんな話をしたのか、自分でも思い出せないのですが、彼女がくれたこの言葉だけは今でもしっかり覚えています。
「あまり先のことを考えずに、1年先のことなんか考えないで、辛いときは1ヶ月、無理ならば1週間、1時間…それでもだめなら5分先のことだけ考えて過ごしていればいいよ。そうしてくうちに時間がたっていくから…」
というようなニュアンスの言葉でした。
私は哀しみにとらわれてどうにもならないときに、度々この言葉を頼りにやり過ごしました。悲しさが心を覆って、気力が沸かない。何も考えられなくて辛い・・・そんな時はこの言葉を思い出して素直に実践していたのです。
そうやって過ごすうちに気がついたら半月、1ヶ月、半年、1年と経っていました。
こんなに辛いのに1か月過ごせた!半年も経った!これなら次の半年後も大丈夫!という具合に、自分の大きな自信に繋がっていくのがわかりました。そして今、気がつけば8年経っているんですから…
やはり、経験者の言葉の重みは違います!
死別の哀しみに限らず、気持ちが乗らないとやしんどいなと感じるときは、この言葉を思い出しては実践するようになりました。
人はいつも、常に頑張れるものじゃありません。追い風もあれば向かい風もあります。嫌になっちゃう辛い時期があっても当然。人生その繰り返し、そんなもんです。
こうやって、辛いとき適度にやり過ごす術を身に付けられたことは、本当に良かったです。そしてそのきっかけをくれた彼女の言葉に巡り合えたことに奇跡を感じた、感受性豊かな私なのでした。