未亡人 おさじが楽しく語ります

苦しい死別を経験した、いまは明るい未亡人のはなしです

葬儀・・・無宗教の私は、どうすれば???

相方を亡くしまず直面した難題は、葬儀のあれやこれやです。

 

家族が亡くった時に、特定の宗教を信仰していれば、その作法に則って葬儀全般をするわけですが、これ困ったことに、私のように何も拘らずに生きてきた人間は、いざ葬儀をという段階になって「どの宗教に則っておこないますか?」と葬儀社に問われてから慌てて自分が今後お世話になる信仰対象を決定しました。

私の場合は大変幸運なことに、家族間同士でどの信仰において葬儀を行うか、という強要などのトラブルとは無縁でした。私に任せると平和的に一任してくれた相方家族には、本当に感謝してもしきれません。

因みに私個人は、お盆には実家で仏壇を装飾し、クリスマスにチキンを食べて、その1週間後には初詣で鳥居をくぐります。それになんの抵抗もない人間です。実家には仏壇も神棚もありますが、それまでは慣習だけで手を合わせていました。(神様仏様、罰当たりな人間です。恐れ入りますね)

これに関しては、ぐうの音も出ないといいますか・・・学がないため、無意識無頓着で今まで過ごしてきた己の罪であり、かといって無宗教を貫く程の志やその方法を探る行動力も持ち合わせていなかった、と言うことですが・・・

しかしながら若い方のなかには、そういう方も一定数いるのではないでしょうか。

今回のようにいざ必要に迫られた時には、己の信仰とはなにか?などとじっくり調べて悩んでいる暇なんてありません。待ったなしで答えを用意し、即葬儀となります。

そして一度葬儀をすれば、よっぽどのことがない限り、一生その信仰のお世話になるわけです。

私の場合は、結果、まぁ仏教が一般的で妥当であろうという理由で、葬儀は仏式と相成りました。宗派についても、葬儀社の担当者と相談してその場でサクッと決定。

そして、お坊さんに戒名をつけてもらったり、お位牌を用意したりと、拘ってる暇もなく息継ぎもできないスピードでことは進みます。

 

 

今になって思えば、私にとって特定の信仰は不要だったかなと思っています。

亡くなった相方をあの世へ送り出すのに、特に葬儀にはどうしても私の信仰は関係ない気がするんです。仏教でいえば、意味も分からないお経を、

「ギャーテーギャーテー ハーラーギャーテー」などと読経しても、音を発しているだけでは???と妙に懐疑的になります。

きちんと学んだお坊さんの読経は意味もあるのでしょうが、私のこれにはなんのパワーも宿ってないだろうなぁなんて、失礼ながら疑問を感じてしまう天邪鬼な私です。

だったら、自分の言葉で「そちらの世界でどうぞ穏やかに清らかに過ごしてね。こちらのことは心配いらないよ、必要な時に見守っていてね」と伝えたほうが、心がこもるというか・・・同じような無宗教だった相方にも伝わりやすいんじゃなかろうか、と感じます。それとも亡くなった瞬間に、送り出す人の宗教流儀を一瞬で理解するんでしょうか?いや~想像できません。

 

ただし誤解のないようにお伝えしますが、お世話になっている仏教の思想は大好きだし、素晴らしいものだと感じています。決して仏教不要論ではありませんよ

仏教の必要性は言わずもがな、千年以上も日本国民に信仰されて、現在まで根付いてきた歴史が物語っていると思います。

お恥ずかしながら、それまでは宗教は葬儀の際にお世話になるもの、程度にしか考えていなかった稚拙な私ですが、いざ仏教の思想に触れる機会を得てようやく、信仰の利便性を認識しました。宗教や信仰は、亡くなった方の魂をどうにかするものではなくて、生きている人間、こちら側の今生の苦しみを緩和してくれる知恵をもっていて、それを提言してくれるものなんですね。実際に死別の苦しみを経験してみて、仏教の”愛別離苦”の教えには、改めて感銘を受けました。

 

とは言え、仏教の信仰に特別拘らない理由は、心の助けになる知恵や言葉は、日々生きていて様々なところに散らばっているような気がするからです。例えばお気に入りの漫画の主人公が発した吹き出しの中にも、好きなアーティストが歌う歌詞のなかにも、電車の中で聞こえてくる世間話のなかにも、家族や友達が励ます言葉の中にも・・・拾おうと思えばどこからでも拾えるんもんです。

特別な宗教を信仰せずとも、毎日普通に暮らしていれば、そこから得られる気づきで私は十分だと思えました。辛く苦しいときに、少しでも心を軽くする方法があるのであれば、今生を生き抜くうえで必要なものを取捨選択して柔軟に取り入れるだけです。

 

超個人的で無責任な考えだと前置きいたしますが、逆に言い換えますと、巷にあるどんな宗教であっても、信仰する本人が信じて拠り所としているならば、活用するのは大いに結構だと考えています。悪い宗教に気を付けて!なんてことをよく耳にしますが、思想を糧により良く生きるという目的を見失わず、他者への信仰強要や金銭トラブルがなければ問題ないんじゃないでしょうか。

 

信仰について私個人の考えを展開いたしましたが、今はまだ死を意識したことがないという若い世代の方達も、一度考えてみることをお勧めいたします。どんな葬儀が理想的か、そこに宗教流儀が必要か否か、葬儀の後の宗教との付き合い方・・・

こういうことはある日突然やってきて、悲しむ間もなくほぼ1週間以内には葬儀、火葬であっという間です。こんないざというときに慌てずに済みますしね。

また、昨今の新型コロナ感染症の流行も要因となり、葬儀の在り方も多様化、縮小傾向にあるように感じます。豪華で大規模な葬儀はますます減少し、家族だけで告別式と火葬を1日で済ませてしまうコンパクトな葬儀が増えているようです。葬儀も信仰も、昔からの慣習にとらわれる必要なんてなく、己で最善を考え、現代の生活様式に適したニューノーマルを自分たちで作り上げるチャンスなのかもしれないですね。